「想像の葦」
須崎市のみなさまへ
「想像の葦」
ディレクター 竹崎和征
例えば、まず、私たちが葦であることを想像してみるのはどうでしょう?
暴風には体をしならせて耐え、葦の家のなか、魚も鳥も昆虫も卵を産み育てる。
僕は葦と聞くといつも新荘川の河口の葦を思い浮かべます。
小さなころ、投網をやっていた祖父に連れられ、よく新荘川で遊びました。子供の目から見る川べりの葦はまるでジャングルのようで、葦を掻き分けつつ川に入ります。川に顔をつけると葦の袂にはたくさんの川海老がいて、僕は夢中で突きました。ほかにもフナやゴリ、ナマズ、昆虫、たくさんの水生生物がそこに生きていました。いつも食卓に並ぶ大きな鮎は子供ながらに堪らなくよい香りで、美味く、それは贅沢な環境だったように思います。
いつのころか、何らかの工事なのか、一時その新荘川河口の葦がすべて刈り取られました。そのとき位から随分と川の生態系は変わったように感じます。いままた葦が生えてきてはいますが、僕の思い出の川と比べると、今はずいぶんと違っているようです。
いまも綺麗です。特に都市部から来た人などはとても贅沢な自然だと驚きます。そして私たちはこの美しい自然を観光や資源に使うことはできる。自慢できる。けれど、実際はここ数十年でまるで中身が違ってしまった。僕はそういう思いを持っています。
この変化は、葦を刈った結果だけというわけではなく、人の話を聞くにつけ、どうやらさまざまな要因が絡んでいるようです。僕の人生、たかだか40年の間での変化の話です。
問題は表層から見え づらく、気づきにくく、けれどもしっかり確実に足元を蝕まれているような感覚です。なんだか虫歯のような話だとも思います。日々の歯磨きを少しくらい怠ってもすぐに影響はないのですが、日々の歯磨きを大事にしない10年後はちゃんと痛んでいる。
ここでは川の話で書きましたが、これはなにも自然環境だけに限ったことではありません。
近く来るであろう津波や、天災、国・政治・社会、人、将来のこと、子供たちの生きる世界のこと。私たちは目の前に山積する私たちの問題を流すことなく、いま自らの意思できちんと見据え、考え、選び、進む先を作らなければ、将来に渡してゆける社会、自然、文化を失ってしまうかもしれません。
現代地方譚は須崎市の文化事業です。現代地方譚は長い目でもって続けるべき事業だと思っています。
例えば10年後、20年後、100年後、未来を想像しながら、何かを作り上げる場所として機能させたい。年に一度皆が集まり、楽しみながら考える事のできるような文化事業 – お祭りのような現代地方譚に育てば良いなと夢想しています。
私たち自らで考え・作り・育ててゆけるような、
誇りを持って、未来に渡せるものを生み出せる町にしたい。
これが今回のテーマ「想像の葦」に込めた思いです。
私たちのために、子供たちのために、まだ出会っていない友人のために、未来のために。
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